たまたま岐阜県池田町で原画展(漫画家 宮川サトシ展)が開催されたので行ってきたのがきっかけでコミックをその場で購入しました。

インパクトのある「母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。」というタイトルは、「むしろ食べたい」という母親を自分の身体の一部にしたいと強く願った気持ちそのものを表したもの。(いま考えると気持ちの良い話ではないと作中で言っておられます。)
正直に言うと僕自身は泣きました。
決して上手とは言えない絵柄ですが、作者の体験がリアルに伝わってきて、多大に感情移入をしたからです。
どうしてそれほど感情移入してしまったのか?
母親をいつか失うかもしれないという恐れ、自分の母親だけはいつまでも元気でいるはずだという根拠のない矛盾した思い。
でもいつか必ず人は死ぬという当たり前の真実。
誰もが持っている共通した思いがこの物語には描かれていたからです。
誰もがいつかは通る「母親」との死別。その日を僕自身はまだ迎えてはいません。
その時を迎える時、後悔したくないなぁとこの本を読んで強く思いました。
淡々と語られる日々が切なくリアル
物語は作者の母親が病院で末期がんの告知を受けるところから始まります。
タイトルからして母親が死ぬ話だということはわかりますが、それにしたっていくらなんでも重すぎる。
時系列はかなり前後して展開され、母親が亡くなる前の日々、その1年後、葬儀の最中やその直後など、過去と現在が交錯していきます。
計算してそのように描かれていたのか、そういう風にしか描けなかったのか。
この漫画を描くことで、おそらく作者本人の気持ちが少しずつ整理されながら作られていったのでしょう。
読むのが辛いと感じるようなエピソードもたくさんあって、それでもページをめくる手が止まらないのは、物語としての抗いがたい魅力が確かにそこにあるからなんです。
作者本人のものすごく細かい心理描写、その時々で何を考えていたか、どういう行動をとっていたかが、どうしてそういうことをしたのか、それらがとてもていねいに描かれていいます。
大切な人とのかけがえのない日々、その人の存在がどれだけありがたかったのか。
印象に残った言葉・エピソード(ネタバレあり)
タイトルのインパクトに負けず劣らず、作中にも多くの印象に残る場面がありました。
どうしても若干ネタバレを含んでしまいますが、ここに紹介させてください。
あの頃の僕はこんな母親の何をそんなに煩わしいとおもったんだろう…
母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。P21
母親の手書きでかかれた「でんちいれ」の文字
病室での結婚記念日のエピソード
財布の奥にしまってあった百日詣でをしたときのメモ
「死に向かって生きている以上、皆寂しくて当たり前」
母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。 P152
最後の晩餐に食べたい物は エピローグ
何度読み返しても、そこでほろっと涙が浮かんでしまうシーンです。なんでだろうなぁ?
母を亡くした時、僕はどう思うのだろう?
これまで身近な人が亡くなったという経験は数度しかありません。飼っていた犬、祖父、叔父、叔母。
それぞれもちろん悲しかった。
いつか来る「母親との別れ」の日に、僕はどう感じるのだろうか
僕がこの本を読んで一番感じたのは「後悔したくないなぁ」ということです。
たまには実家に顔をだして、一緒にごはんを食べたり、他愛のない話をしたり、肩をもんだりとか、それくらいしか出来ないけれど。
漫画家 宮川サトシ展の様子



漫画原作のネームや資料がありました。膨大な資料に裏付けられたリアリティー。

壁に展示された原画。漫画の原画は迫力があります。

映画の台本とか始めてみました。貴重!

作者の宮川サトシさんからお菓子の差し入れがありました。人となりが伺えますね。

著作一式。「情熱大陸への執拗な情熱」が気になります。

開催場所は岐阜県揖斐郡池田町にある土川商店「場所かさじゅう」。
漫画のエピソードに出てくるあの先生が経営されているお店だそうです。その縁でこの場所で原画展が開催されました。
http://blog.norarikurari.moo.jp/?eid=1530069
2019年2月22日に映画が公開されるみたいで、それのおかげでこの本を知ることができたので感謝です。
公開されたらそのレビューも書きますので、よろしかったら読んでみてください。
1話から3話まで「くらげバンチ」で無料で読めます(2019年2月現在)